コーラス部卒業生

「真間の手児奈」の街を訪問

 東高校の校舎が船場にあったころ、音楽教師・原谷千穂先生のご指導のもとコーラス部が文化祭などで歌劇「真間の手古奈」を上演していました。

 「手児奈」(手古奈)は奈良時代以前に真間(千葉県市川市)に住んでいたうら若い美しい女性です。その頃の真間のあたりは菖蒲や葦がたくさん生えていて、真間山のすぐ下まで海が入り込んでいました。この辺りの井戸水は塩けを含んでいて飲み水にはできませんでしたが、ただ、一つだけ「真間の井」と呼ばれる井戸からは、きれいな水がこんこんとわき出でていました。この里の住民は、この井戸の水汲みに集まり賑やかでした。手児奈もこの井戸の水を汲んでいました。

 手児奈は、青いえりのついた麻の粗末な着物で、髪もとかさず、裸足なのに、上品で満月のように輝いた顔は、都の着飾った姫よりも清く美しく見えました。手児奈の噂は、里の若者だけでなく、国府の役人や都からの旅人まで伝わり、多くの男が言い寄って来ました。みずからをめぐって争いが起きることを憂えた手児奈は海に身を投げてしまいました。浜に打ち上げられた手児奈の亡骸を可哀想に思った里人は、井戸のそばに手厚く葬りました。(「市川の昔ばなし」より)

 手児奈の伝説は広くいきわたり万葉集第三に山部赤人が詠んだ歌(歌一首、短歌)の一つ

勝鹿の真間の入江に打ちなびく玉藻苅りけむ手兒名し思ほゆ

 また、万葉集に高橋虫麿呂の歌(歌一首、短歌)から

勝鹿の真間の井見れば立ち平し水汲ましける手兒名し思ほゆ

 そして、万葉集十四の東歌にも手児奈伝説にふれた作品があります。

 手児奈を祀った手児奈霊神堂には、入江の名残りの池があります。また、手児奈が水汲みをしたという「真間の井」は手児奈霊神堂の道を隔てた向かいにある「亀井院」というお寺の庭に残っています。詳しくは「真間の手児奈」でネット検索下さい。

 歌劇「真間の手児奈」の最初の部分だけ(きれいな玉のところまで)を演奏、歌(映像はなし)を聴くことができます。「真間の手児奈オペラ」でネット検索→ニコニコ(動画)→[歌劇]服部正・真間の手児奈より(会津農林高校による)です。

 それと、歌劇「桶山伏」は、混声合唱団のオペレッタ「桶山伏」第三ステージ(全曲)が鑑賞できます。真間の手児奈でネット検索→服部正WEB資料館→右側の「右のページの追加情報」の中から2016/9/29作品「歌劇、桶山伏」→桶山伏についての文章の下の「こんぴらコーラスによる「桶山伏」です。「桶山伏」は楽しい内容ですので、ご興味のある方は是非、ご鑑賞ください。