「戦争と女学生」

東同窓会報2019年5月(第49号)に掲載

大阪市立東高等学校(旧東女学校)を昭和22年卒業の大前千恵子(旧姓小林)さんと同期の水谷光子(旧姓川崎)さん、乗岡種子(旧姓西村)さん、水島澄江(旧姓水島)さんにお集まりいただきましたときの、インタビューをまとめたものです。

昭和16年12月8日大東亜戦争が勃発

翌年17年3月、15歳の時に東女学校に入学した。クラスは、月組、雪組、梅組、菊組の4クラス。同好会として、バスケット部、バレーボール部、なぎなた部があった。羽曳野の高鷲にあった陵南学園での体育大会では、仮装行列や応援合戦をした。また、女学校であっても、ソフトボールやバスケットボールなど活発に行われていた。

昭和18年5月28日創立20周年記念の式典に鼓笛隊が編成

昭和19年5月1日から昭和20年8月15日終戦の日

武長(武田)薬品会社大阪工場(東淀川区十三)にて勤労奉仕。注射用アンプル5㏄切りの仕事をしていた。十三の工場で終戦を迎えた。

学校は、その1ヶ月後に再開した。家を失ったなどの生徒9人ぐらいが作法室で生活した。食事は、地下の割烹教室(家庭科室)で作って食べた。疎開していた人が食品を持ってきてくれた。谷町の辺りに風呂屋があり、怖かったので何人かで行った。

昭和21年で21回卒業には、A組(卒業希望者)が昭和22年で21回卒業にはB組が卒業した。その他に、旧東高校校舎のエレベーターには生徒は乗れないが動いていた。中央の階段も生徒は使えなかった。窓側にはスチームがあった。 また、印象に残っていることでは、大仲令子(旧姓大谷)さんは、婦人警官第1号。淀屋橋の交通整理で人気だったと。